今日、はてなブックマークでホットエントリ入りしていた「「ホタルイカの身投げ」を撮って後悔している話」という話にちょっと考えさせられました。
内容については是非、元エントリを読んでください。
写真について
日本語では「写真」と言うので、特に誤解されやすい気がしますが、写真=Photographは決して「真実を写す」わけではありません。Photoshopによる修正が広く知られるようになったので、そんな風に思う人もそれほど多くはないかもしれませんが、私がアップしている写真も「撮ったまま」ではありません。明るさや色合い、シャープさなどを調整、自分のイメージに一番近いかたちにしてはいます。つまり「見たまま」の姿をあらわしているものではありません。
デジタルになったからじゃないの?という声もあるかもしれませんが、実際にはイルム時代から現像の際には調整が加えられており、フィルムですら「見たまま」というわけではないのです。
「絶景」を撮るということ
このエントリの作者の方は「ホタルイカの身投げ」を撮って公開したことから、多くの人たちが見に来るようになってしまい、その環境が壊されることを懸念されています。
幸いニュージーランドはもともと人口が少ないこともあり、「絶景」の写真があったとしても、そんなに多くの人が集まってくるということはあまりないと思います。
しかし、今のテカポなどは(地元も集客しようとしているところも無きにしもあらずですが)昔と比べて多くの観光客が訪れるようになり、町(村)の雰囲気も変わってきていると感じることがあります。また、良き羊飼いの教会付近は、夜になると少なくない人が集まってきて星空の写真を撮ろうとしているらしく、地元では問題視されているような話を聞いたこともあります。
最後の一文
私もできるだけきれいな、「絶景」と言えるような景色を紹介したという思いはあります。私はまだまだ写真も勉強中だし、そんなに影響力のある写真を公開することもないと思いますが、「ホタルイカの身投げ」の方の次の一文を忘れないようにしたいと主ました。
写真はとても曖昧なメディアです。使う人によって、添えられる文章によって意味が180度変わってしまうこともある。だから、写真がひとり歩きしないよう、撮ったあとにまで気を配るのが撮影者の努めではないのでしょうか。
ちなみに冒頭の写真はオアマルの朝焼けです。特にエントリ内容とは関係ありません。